支那事変を見ると、囮は蒋介石だ。
彼の上海日本人居留民攻撃に対して、反撃し空針に引っかかって大損害を出したのが日本だ。日本はその後必死に講和を提案して針を外そうとしたが釣師が囮を操作して針を外させない。この悪魔の釣師がソ連のスターリンだった。
中共の毛沢東はスターリンの助手で、囮用の蒋介石を西安事件で張学良を使って捕らえた。
支那事変の分析では、日本は日中戦争という表現を止めることだ。日本が戦ったのは蒋介石だから、日本・蒋介石戦争、あるいは日本・国民党戦争というのが正しい。中共にとって対日戦争は戦後の国共内戦に備えて国民党軍を弱体化させるのが狙いだったから、当然高みの見物を決め込んでおり、ほとんど戦争をしていない。また中共の使う「抗日」表現は対日表現に改める。これは本来は排日だったが、ソ連KGBの専門家が蒋介石を指導し、抗日に変えさせた。
それは抵抗には正当性という意味があるからである。共産主義の宣伝はここまで細かく用語を分析して選んで使っている。
スターリンは秘密の工作を誤魔化すために偽情報を出した。
その一つが「西安事件では毛沢東が捕らえた蒋介石を殺そうとしたがスターリンが止めたので地団駄を踏み、真っ赤になって怒った」という説である。
一見まことしやかだが、蒋介石を生かして使う戦略ははじめから決まっていた。そして狡猾な毛沢東が左翼の神と恐れられたスターリンに反抗する姿勢を示すなどやるわけがない。
そして米人エドガー・スノーによるとこの話は宋慶齢からの伝聞という。何の根拠もないのだ。宋慶齢は宋家三姉妹の長姉で孫文の未亡人でありスターリン直系の共産主義者だ。この情報の目的は、スターリンが西安事件の首謀者であったことを隠すためである。
ちなみに当時のソ連タス通信は、西安事件をあろうことか日本の陰謀と発表している。世界の人々を欺し混乱させる謀略工作だ。
なお支那事変における宋慶齢の役割としては、南京の宋美齢にスターリンの蒋介石釈放条件を伝えた可能性がある。これを受けて宋美齢が西安に飛び、監禁中の夫に伝え、この条件を蒋介石が呑んで釈放された可能性がある。周恩来も監禁中の蒋介石を訪れているが、こちらは降伏しないとモスクワの長男蒋経国ともども人民裁判にかけて惨殺処刑すると脅したのではないか。
西安事件の前兆として、事件の半年前の1936年6月頃スノーが延安を訪ねた時、彼は周恩来から「蒋介石の対日攻撃の始まりが彼の没落の始まりになる」という意見を聞いている。
そこでメモすると周恩来は、蒋介石を警戒させるので、オフレコを依頼した。このためスノーはこの史実を20年後の1957年に「中共雑記」で公表している。
ソ連の支那工作では、ボロディンらが有名だが、彼等は独ソ戦争の動向がはっきりするとモスクワに召喚され皆処刑されてしまった。スターリン一流の口封じである。
1991年のソ連崩壊後、スターリンの援蒋行為として、3億ドル(当時)に上る巨額の軍事借款や飛行機一千機、軍事要員4千名に上る厖大な軍事援助が明らかになった。また支那事変に従軍した多数のソ連空軍操縦士の回想録が出版された。
こうしてみると支那事変は明らかにソ連の蒋介石を使った対日戦争であった。
中共は対日戦勝利と言うが、戦ったのは国民党である。中共はソ連の助手として、重慶で蒋介石を監視していた。蒋介石は日本軍に形式的に勝利したが、重要なヤルタ会談やポツダム会議には用済みで呼ばれず、1949年には国共内戦に敗退して支那を奪われてしまった。所詮、スターリンの囮だったのである。このように支那事変は複雑でわかりにく