正義について考えてみた。
絶滅した恐竜の名前くらい遠いところにそれはあるような気がした。
平和について考えてみた。
きっと、正義なんてなくても、つくろうと思えばつくれるような気がした。
頭の中に思い浮かべた景色をつくるために必要な条件を、一つ一つ並べていく。そうしている内に、ふと首を傾げてみる。もう一回最初から考え直し、さらに最初からやり直し、そしてようやく気づかされる。
どうやら、世界が平和になるのに自分という存在は不要であるらしい。
自分のよく知る人々が笑顔になって、自分もよく知らない人達とも手を取り合って、いろいろなものが発展していって、馬鹿みたいに積み上げられていた様々な問題を丁寧に解決していく。
そんな教科書通りのお手本みたいなピッカピカの理想を叶えた後には、自分という一存在の居場所はなくなっている。
世界が平和になれば、恐らくだれもが文句を言わない。
世界が平和になれば、恐らくだれもが疑問を抱かない。
世界が平和になれば、恐らくだれもが過程を無視する。
世界が平和になれば、恐らくだれもが結果に歓喜する。
世界が平和になれば、恐らくだれもが正しいと答える。
・・・なんて平等で身勝手で、個の都合を押し潰す考え。でも、それだって仕方がない。正義はすでに失われた。あるのは化石のような名残りだけ。
そして言うまでもなく、平和は尊い。ともすれば世界全体の半分くらいを犠牲にしてでも手に入れたいと考えてしまうほどの価値があるのは、過去の歴史が証明している。
それを一人前の命で購入できるといつなら、きっと誰でも飛びつくだろう。
歴史家は人類の偉業と讃え、年表に新たな数字が刻まれ、記念の祝日でもつくるのだろう。
全人類が共有する、笑顔の殺人。
ニヤニヤ笑いの理論武装で本質から目を逸らし、誰も彼もが正義を忘れて気持ちの悪い平和を謳歌する世界。
では問題。
自分は、本当にそんな世界にすがりたいのか?