「辛亥革命は、清の南方の十四省が独立を宣言しただけで、首都である北京を囲む直隷省や、河南省、山東省、甘粛省、さらに日露戦争後の1907年に満州にできたばかりの奉天省、吉林省、黒竜江省、1884年に出来た新彊省は、清朝側についた」のである。そのうえ、モンゴルとチベットは「藩部」と呼ばれ、「内地」ではなかったのである。
司馬遷以来の「正統史観」だけを引き継ぐ現王朝(中国共産党王朝)は、それゆえに日本が建てた「満州国」は「偽満州国」と言いつのり、台湾は「中国の一部」と獅子吼し、チベット、モンゴル、ウィグルの民を「中華民族」だと言って、実際は植民地化して資源を詐取している。