中継録画の画面を通してだが、会場の観客も出場している各国の選手たちも、緊迫した決勝の5試合を真剣に見つめ、決着がついた時は「いい勝負を見せてもらった」といった表情で両国選手に拍手を送っていた。判定に満足していた証拠だ。
今回の一件で興味深かったのは、判定に対して熱くなっていたのは韓国のメディアとネット民だけであり、一方の日本はほとんど反応がなかったことだ。勝ったからではない。世界剣道選手権という大会自体、一般的な注目度が高くなく、スポーツ紙でさえその結果を取り上げないところがあったのだ。BSでの中継こそあったが、多くの日本人が、そんな大会が開かれたことも知らないイベント。その判定を声高に批判するのは、相手が日本だと何であろうと対抗心をむき出しにする韓国だからだろう。
もっとも世界剣道選手権は回を追うごとに規模は拡大し世界からの注目度も高くなっている。第1回大会が行われたのは1970年。この年、剣道の国際的普及を目的に国際剣道連盟が設立され、世界一の技を披露する場として日本武道館で開催された。以後、3年に1度、各国で行われ今回で第16回を数える。参加国数も第1回は17ヵ国だったのが、現在は52ヵ国に増えた。
ただし剣道は「スポーツ」としてとらえられない部分があることも確かで、それを外国に理解してもらうのはなかなか難しいようだ。たとえば、有効打突(一本)の定義。全日本剣道連盟が定めた試合規則には「有効打突は、充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるものとする」とある。
この表現自体、合理的なスポーツのルールとは一線を画すが、もっとやっかいなのが一本になるかどうかを左右する「残心あるもの」の解釈だ。剣道関係者によれば残心とは「打突後も集中力を切らさず、相手の反撃に備えて心を残すこと」だという。打ったら終わりではなく、攻め続ける姿勢と気持ちを持っていなければならないというわけだ。この残心が審判に伝わらないと一本が認められないそうだ。
残心を理解するのは相当難しくて、剣道部に所属する学生たちも、これを体得するには苦労するらしい。日本でも残心を正確に知っている人はごく少数だろうし、外国人ならなおさらだ。だが、世界剣道選手権に出場する外国人剣士の多くは、そうして日本特有の武道の精神性を素直に学び、自分のものにしようと努力している。
おそらく今回の決勝の判定を批判している韓国の人たちは残心という言葉も聞いたことがないし、あったとしても、その意味を考えたこともないだろう。それで「汚い」などというのはお門違いなのだ。
だから、今回の判定批判は世界の剣道界からは黙殺され、後をひくことはないだろう。だが、ひとつ気がかりなのは次回の大会が韓国で行われることだ。大韓剣道会は、会長が「剣道の起源は韓国」と発言するなど不審な点もあるが、次回大会に際してはメディアやネット民ら“外野”からの声に惑わされることなく、公平・公正な運営を期待したい。